七十四:これら要素の一部が互いに結合することで
    粗大な要素ができて、それらによって粗大な身体が形成されよう
    また微細な要素は、音などの五種の感官の対象となって
    喜びを享受者に提供するものとなるだろう

 
 



詩句七十四【覚書】:★《これら(微細な)要素の一部が互いに結合することで、粗大な要素ができて、それらによって粗大な身体が形成されよう》この結合の過程は専門用語で「パンチーカラナ」と呼ばれる。その過程は巻末の図譜(542頁)を参照すると理解しやすいが、先にのべた「空」や「風」などの微細な要素は、それぞれ内にサットヴァ、ラジャス、タマスという三種のグナのすべてを含むが、各々の要素のタマスのグナは、二つの同等な部分に分かれて、その一方はそのまま残り、他方はさらに四つの部分に分かれる。つまり各要素のタマスのグナは、本来のものが二分の一からなる部分が一つと、八分の一からなる部分が四つの、合計五つの部分に分かれる。次に、各要素の八分の一の部分が、他の要素の二分の一の部分と結合して、その結果、各要素において、本来の要素が二分の一と、他の四つの要素がそれぞれ八分の一からなるものが形成される。これが粗大な要素と呼ばれるものである。「空」を例に取ると、そのタマスのグナは、内部で二つの部分に分かれて、一方は本来の「空」のまま残り、他方はさらに内部で四つに分かれる。つまり微細な要素「空」のタマスのグナは、その内部において、二分の一の部分が一つと、八分の一の部分が四つの、合計五つの部分に分かれる。これと同時に、他の微細な要素でも同様の過程が起こって、その後、微細な要素「風」、「火」、「水」、「地」のタマスのグナのそれぞれ八分の一の部分が、二分の一となった微細な要素「空」のタマスのグナの下に集まり、それと結合して、結果、「空」の微細な要素のタマスのグナが二分の一と、「風」、「火」、「水」、「地」の微細な要素のタマスのグナがそれぞれ八分の一からなる、粗大な要素としての「空」が形成される。同じことが他の微細な要素でも起こり、それぞれ、粗大な要素としての「風」、「火」、「水」、「地」ができていく。これが「パンチーカラナ」と呼ばれる過程である。つまり五種の微細な要素は、このような過程を経ることで、五種の粗大な要素へと変貌する。つまり粗大な要素はすべてタマスのグナで出来ており、これらが宇宙に存在するすべての物的存在を形成する。一般に言われる「空」、「風」、「火」、「水」、「地」は、これら粗大な要素を指している。一方、各微細な要素のラジャスとサットヴァのグナについては、ラジャスのグナは五種の行為器官とプラーナ(気息)を形成し、サットヴァのグナは、五種の知覚器官と、心やブッディなどの内的器官を形成する。
 先に述べたように、人間の身体は、粗大な身体、微細な身体、原因の身体の三つから構成されるが、粗大な身体(肉体)は粗大な要素(タマスからなる)で出来たもので、微細な身体は、微細な要素のサットヴァとラジャスのグナで出来たものである。詳しく言うと、微細な身体は、後ほど説明されるが、内部で、プラーナマヤ・コーシャ、マノーマヤ・コーシャ、ヴィジュニヤーナマヤ・コーシャという三つのコーシャ(鞘)に分かれており、このうち、プラーナマヤ・コーシャは、微細な要素のラジャスのグナで出来たもので(ラジャスの産物であるプラーナと行為器官で構成されるから。詩句一六五参照)、マノーマヤ・コーシャとヴィジュニヤーナマヤ・コーシャは、微細な要素のサットヴァのグナで出来ている(サットヴァの産物である知覚器官と内的器官で構成されるから。詩句一六七、詩句一八四参照)。次に原因の身体とはアーナンダマヤ・コーシャを指すが、これは微細な要素からではなく、アヴィヤクタ(未顕現)から直接に生じたものである。そしてアヴィヤクタは根源的なタマスで出来ている為、つまりアヴィヤクタは人間にサンサーラを起こさせる無知そのものである為、原因の身体であるアーナンダマヤ・コーシャは、根源的タマスの要素からなるとされる。しかしながら、アヴィヤクタはブラフマンの表れでもあるので、そこには神性が宿っている。そのことゆえに、人の魂はここに至ると平安に憩うようになる。私見として、内在意識はここに相当すると思われる。智慧の根源はブラフマンにあるが、その光がこの層を通して心に現れるので、人は智慧を得ることができる。
 このアーナンダマヤ・コーシャができた原因については、以下のように考えられる。つまり、主は独立した御方で、それゆえ必要なものはすべて自分の力で生み出し、それらを享受される。人間は主の意識を受け継ぐため、自分も主と同じように、自分に必要なものをつくり(行為して)、その結果を楽しもう(享受する)と考えた為に、主の意識から離れていき、その結果、アーナンダマヤ・コーシャがアヴィヤクタから生じて、アートマンの周りを覆い、そのアートマンは、全なるアートマンから分離されて、個の魂(ジーヴァ)として存在するようになった。これらについては巻末の図譜(543頁)を参照のこと。ちなみにコーシャとは「鞘」という意味で、それぞれのコーシャは、その内に、より微細なコーシャを含むことからこう呼ばれる。
 アヴィヤクタから万物が如何にして発生したかについては、古典的サーンキヤやバーガヴァタ・プラーナでは別の説が語られており、それらの間における関係は、著者には不明である。ただ、人間にとっての無知の原因、及びそこからの解放という面から見ると、シャンカラの説明がそれらの理解に役立つと思われる。
★《また微細な要素は、音などの五種の感官の対象となって、喜びを享受者に提供するものとなるだろう》「音などの五種の感官の対象」とは、「音(シャブダ)」、「触(スパルシャ)」、「色(ルーパ=姿)」、「味(ラサ)」、「香(ガンダ)」の五つを指す。これらは本来の微細な要素で出来ている。つまりそれらには三グナのすべてが含まれている。例えば、「音」は「空」の微細な要素、そして「触」は「風」、「色」は「火」、「味」は「水」、「香」は「地」の微細な要素から構成される。我々が知覚器官を通して知覚するのはこれら微細な要素であり、それらを提供する媒体が粗大な要素と言える。このことゆえ、ウパニシャッドでは感官の対象は感官よりも上にあるとされる。