五六三:石や木、草、穀物、藁などは
    燃やされたら、すべて土に変わるだろう
    同じように、肉体や器官、プラーナ、心など、それら観られる対象は
    「知識」の炎に焼かれたなら、すべて至高のアートマンとなるのである



詩句五六三【覚書】:★《「知識(ジュニヤーナ)」の炎に焼かれたなら、すべて至高のアートマンとなるのである》正しき理解が得られたなら、偽りの姿が消え去り、そこには本来の、純粋な精神である、アートマンだけが残る。神理を悟ったなら、肉体などの観られる対象は、もはや人を迷わせて束縛するものでなく、それらを通して神を理解できる、神からの最高の恩寵(神寵)と理解される。それらの根源はブラフマンであり、それゆえそれらは不浄なものでなく、そこには神性が宿っている。「「知識」の炎によって焼く」とは、知識の供犠(ジュニヤーナ・ヤジュニャ)を指し、それは主を知ることを意味する。主について学び、理解することは、真の自分を知るに等しく、それは自分を正すことにつながり、その結果、光がもたらされて、平和が訪れてくる。人は自分を変えずして、周りが変化することを望むが、周りの環境は自分の心が生み出している。人を見て自分を見ない者は、被害者意識や種々の感情から解放されることはない。知るべき第一のことは、自分から出たものは自分に帰るという道理である。蒔かぬ種は生えない、蒔いた種は刈り取るという神理を、よく理解しなければならない。 参考:「あたかも燃える炎が、薪を灰にするように、神理の火はすべての行為(業)を灰にする」(BG4‐37)。