五三二:「私はデーヴァダッタだ」と理解することは
    如何なる状況にも依存しないだろう
    同じように、ブラフマンを覚知する者にとっても
    その知識は、如何なる条件にも依存しないのだ



詩句五三二【覚書】:★《「私はデーヴァダッタだ」と理解することは、如何なる状況にも依存しないだろう》「デーヴァダッタ」とは、インドにおける一般的な男性の名前。つまり我々が自分を「私は誰それである」と知るには、自分の意識が健全であればよく、そのために何かを必要とはせず、ただそれに気付きさえすればよい。
★《同じように、ブラフマンを覚知する者にとっても、その知識は、如何なる条件にも依存しないのだ》「その知識」とは「自分はブラフマンである」という理解のこと。「自分は誰それである」と理解するのと同じく、ブラフマンを悟った者が「私はブラフマンだ(私はブラフマンと一つだ)」と理解するには、自分がその事実に気づけばよいだけである(悟り)。だが実際には、アートマンの周りは厚いカルマに覆われるので、それを取り除かねばならない。そこにこの世での修行がある。人間が生きるべき法は、以下の八種あるとされる。@:祭祀(主を祭り、崇拝する)、A:聖典の学修(何が正しいかをたえず学ぶ。人間はすぐに忘れるから)、B:布施(物的、及び精神的)、C:苦行(素直な心になり、自分を改めていく)、D:善(サット)に生きる、E:忍耐(現実に耐える)、F:自制(心と感官を制御して正しい方向に向ける)、G:無欲(小欲知足)。 参考:「老と死からの解放を求め、努力する知性豊かな人びとは、わたしに帰依し献身奉仕する。彼は梵と最高我と全行為を知る」(BG7‐29)。