四五一:弟子は質問した
    「「知識」を得る前に始まったカルマは
    「知識」を得たからといって、消えることはないでしょう
    それは結果を生まずにはすまないはずです
    ひとたび放たれた矢は、もはや引き戻すことは不可能でしょう



詩句四五一【覚書】:★《全体の趣旨》「知識を得る前に始まったカルマ」とは、現在その人に現れているカルマ、つまりプラーラブダ・カルマのことで、それがその人の現在の立場、容姿、仕事、病気などを決定している。肉体もプラーラブダ・カルマによって形成される。それゆえそのカルマを消化するために、死の時まで肉体を維持しなければならない。つまり食事を摂ったり、それを守る必要が出てくる。また人間は今の自分の立場や因縁からは逃れられない。それゆえ理性ある者ならば、肉体と自分は別と理解して、それらの環境に耐えていく。その結果、主の慈悲により、カルマが解消され、運命と環境が変わってくる。つまり運命はあらかじめ定まっているが、変わり得る部分もあり、そこに主の働きを見ることが出来る。人間は今の環境は固定されていると思いがちだが、世の中の動きを見ると、一夜にして運命が変わることは、しばしばあることである。さらに人間の寿命も、それは定められたものだが、主の意思によって、アコーディオンのように、伸びたり縮んだりするとされる。 参考:「アルジュナよ、一切の行為を成就するため、サーンキヤは説かれるが、五つの要因をわたしから聞け。即ち、活動の場所である肉体、行為者、各種の感覚と行為器官、さらに多様な個別的活動と、それに第五に運命である」(BG18‐13、14)。

四五二:虎だと思って矢を放ったなら
    あとでそれは牛を見誤ったと分かっても
    もはや引き戻すことは不可能で
    その矢は非常な勢いで牛を貫いてしまうはずです 」



詩句四五二【覚書】:★《全体の趣旨》弟子の疑問は、プラーラブダ・カルマは現在の肉体を形成した原因であり、それゆえ解脱しても消えないのではないかというものである。プラーラブダ・カルマの結果である肉体は、死の時まで存在して、それに関する因縁も続いていくだろう。だが問題は、それに自分がとらわれるか、またはそれを超えることができるかである。