四四四:非常に好色な者であっても
    母親の前では、そんな思いは抑制されよう
    同じように、完全な「至福」を持つブラフマンを知ったなら
    その聖者も、そのようになるのである



詩句四四四【覚書】:★《全体の趣旨》ブラフマンは、それに触れた者を自然と変えてしまう。内側から理由もなく変えられていく。聖者の姿を見ただけで、または聖者の側に居るだけで、自然と善なる者へ変わっていく。言葉では理解できないことが、その場に備わる力によって理解される。この事実ゆえにサットサンガ(聖者や、聖なる人々との交流)の重要性がある。聖書においても「私の名のもとに三人寄れば、私はその中にいる」(MTG18‐20)と語られる。人間の身体からはたえず霊気が発せられて、周囲に様々な影響を与えている。仏教の言葉に「一念三千」があるが、一念とは、ある対象を強く思うこと、そして三千とは、三千世界、つまり全宇宙を意味する。人の思いは、天国でも地獄でも、どこへでも通じて、そこにあるものを引き寄せてくると言う意味である。善なる思いを持てば聖霊を招き寄せて、悪の思いは悪霊を呼び寄せ、火に油を注ぐように、悪の思いを増大させていく。それゆえ、たえず主を想うことで、その者には聖霊がとどまり、周囲にも光が注がれて、不明だったことが明らかとなっていく。具体的には、そのような人が集まると、その場には光の塔が立ち、それは天まで通じて、それを通して神の世界から光が降りてくる。 参考:「四方に心乱されず、恐怖を離れ、わたしを念じて、修練せよ」(BG6‐14)、「アルジュナいう、あなたは最高の梵(ブラフマン)、最高の居所、最上の浄化具、神聖にして永遠の霊我(プルシャ)、太初の神、不生の主であると」(同10‐12)、「心を他に向けず、わたしを専心瞑想する、不動の献身者に対しては、私は至福を与える」(同9‐22)、「心をわたしに向け、命をわたしに委ね、互いに啓発する者は、満足と悦びを見出していく」(同10‐9)。