三七四:よく学びし者よ、このことを真に理解するがよいだろう
    ヴァイラーギャとボーダは、鳥が持つ二枚の羽なのだと
    この両者を備えなければ
    解放という宮殿の頂に上ることはできないだろう



詩句三七四【覚書】:★《ヴァイラーギャとボーダは、鳥が持つ二枚の羽なのだと》「ヴァイラーギャ」とは無執着のこと。「ボーダ」とはアートマンの本質を理解していること。心から欲望が消えて無執着となり、かつ神理を正しく理解している、この二つの条件がそろうことで、解放へ進むことができる。どちらか一方が不備では困難である。幼児は無欲だが、そのままでは解放されないだろう。また善良な人であっても、環境の変化で人柄が変わるが、それは正しい知識の欠如によるだろう。さらに神理を知っていても、体得できていなければ、現実の場で実行できず、理解したとは言い難い。予想もしない時に、予想だにしないことが起こって、人は混乱してしまうのだ。そしてそれがその人の本当の姿だろう。自分と肉体への愛着が、魂の飛揚を妨げていると言える。 参考:「聖バガヴァット言う、心はたしかに捕捉し難い。されどアルジュナよ、常修と離欲(ヴァイラーギャ)によって捉えられよう」(BG6‐35)、「わたしを敬愛する者は、悩む者、知識を求める者、財富を求める者、知識ある者(ジュニヤーニー)の、四種の善行者である、アルジュナよ。誠信にして献身をいとわず、知識ある者は優れている。知識ある者はわたしを親愛し、私も彼を愛する。四種の人びとは皆高貴である。だが知識ある者はわたし自身と思う。なぜなら心をわたしに統一する者は、最高の帰着点であるわたしに依存することになるからだ」(同7‐16〜18)。ここで「知識ある者」とは「ボーダ」を持つ者のことである。