二三九:それには、知る者、知られる対象、知る行為という区別はなく
    無限なるもので、変転することなく
    唯一なる、不可分な、チットそのもので
    智慧ある者によって「最高の真理」と覚知されるだろう



詩句二三九【覚書】:★《全体の趣旨》詩句二三九から二四〇まで、聖典からの聖句を引用して、ブラフマンの性質をさらに説明している。
★《それには、知る者(ジュニヤートリ)、知られる対象(ジュニエーヤ)、知る行為(ジュニヤーナ)という区別はなく》ブラフマンだけが実在であり、それが全てとなって現れているので、そこには第二のものが存在しない。知る者は、知られる対象があって初めて存在する。だがすべてがそれ自身なら、知られる対象は存在しなくなり、それゆえ知る行為もなくなる。眼は対象を見るが、それは自分の眼を見ることはできない。「見ている」という体験によって眼の存在を理解できるだけである。ブラフマンも、自分がブラフマンの意識になることで、それを理解することができる。 参考:「ブラフマンは分割されず、万物の中に分割されたかのようにあるが、それは万物を維持し、呑み込み、かつ創造者と知らるべきである」(BG13‐16)。
★《無限なるもので(アナンタ)》それにはどこまで行っても限界は存在しない。
★《変転することなく(ニルヴィカルパカ)》ブラフマンは多様な概念を排除するものであり、それは内にて変化が生じることのない、超越的実在である。
★《唯一なる(ケーヴァラ)》それだけが真実であり、それだけが実在である。それゆえそれは絶対的なものである。
★《不可分な(アカンダ)》その内にて区分できず、それだけが遍満する、絶対的な存在である。
★《チットそのもので(チンマートラ)》ブラフマンは、いかなるウパーディによっても制限を受けない、純粋な意識から構成される。
★《「最高の真理(パラ・タットヴァ)」と覚知されるだろう》「最高の真理」とはブラフマンのこと。