二二四:ブラフマンの境地に至った
    その覚知を得た者は、二度とサンサーラには戻らないだろう
    それゆえ、アートマンとブラフマンは異ならないことを
    完全に理解せねばならないだろう



詩句二二四【覚書】:★《二度とサンサーラには戻らないだろう》ブラフマンの世界に至ると、サンサーラから解放されて、使命が無い限りこの世に生まれてこない。 参考:「導師の家で、導師の為に働き、ヴェーダを学修して、その後、自分の家に戻り、ブラーフマナに相応しい清浄な場所でヴェーダの学修に専念して、敬虔な息子や弟子を教育し、感官を鎮めて、アートマンに確立され、祭祀以外では生き物を害せず、と、このように生涯に渡って自分を律した者は、(死後)ブラフマンの世界に到達し、二度と戻ってこないだろう、まことにその者は、二度と戻ってこないだろう」(CHU8‐15‐1)。
★《それゆえアートマンとブラフマンは異ならないことを、完全に理解せねばならないだろう》自分の本質を悟ると、それはブラフマンと異ならないと理解できる。ブラフマンと一つになるとは、ブラフマンと同じように働くことで、決して行雲流水という、飄々とした生き方をすることではない。我々の周囲はブラフマンで満ちている。つまり人間はブラフマンによって生かされている。それゆえブラフマンとして生きるとは、他への奉仕に生きることで、そのように生きることで、この世でのその人の生も成就される。しかしブラフマンと一つになっても、ブラフマンと同じにはなれない。なぜならブラフマンは必要なものを自分で生み出すが、人間はそれらをブラフマンから供給してもらうしかないからだ。そして主はそのブラフマンを支配される御方で、ブラフマンを通してすべてを生かしておられる。人間は主に生かされている存在である。これが最も重要な知るべき事実である。 参考:「アルジュナよ、私は三界中に為すべきことは何もない。不足するものも得るものもないのだ。それでも私は働いている。なぜなら、アルジュナよ、もし私が働かなければ、人間は至る所で私の轍を踏むであろう。私が働くのをやめれば、世界は破壊され、生類を殺す結果になってくる」(BG3‐22〜24)。