一六八:五種の知覚器官を五人の祭官として従え
    感官の対象という供物を、祭火の中へと献供する
    無数のヴァーサナーを燃料として燃え上がり
    マノーマヤという炎は、現象世界を維持し続けるのだ



詩句一六八【覚書】:★《全体の趣旨》マノーマヤ・コーシャが祭火に喩えられる。五人の祭官(知覚器官)が供物(感官の対象)を次々と祭火(マノーマヤ・コーシャ)の中に注ぐと、それらは燃料(ヴァーサナー)によって燃え上がり、世界を燃やし続ける(人々を束縛し続ける)。
★《無数のヴァーサナーを燃料として燃え上がり》「ヴァーサナー」とは、「前世での強い思いにより、その前と結果を考えることなく、ある対象に対して自然と湧いてくる欲望の思い」と定義される。つまりそれは、ある特定の対象に対する、その人特有の思いのことで、欲望や執着、愛憎などをも含む。ここで考慮すべきは、感官の対象に接しても(供物を注いでも)、心にヴァーサナーが無ければ(燃料が無ければ)、それによって影響されない(それらは燃えない)ということである。「燃え上がり」とは、ヴァーサナーに促されて、結果を求めた行為を行うこと。
★《マノーマヤという炎は、現象世界を維持し続けるのだ》自己本位な結果を求めた行為を行うことで、現象世界はその者にとって輝き続ける、つまり存在し続ける。すなわちその者はサンサーラを永遠に続けていかざるを得なくなる。