一一二:物的欲望、怒り、貪欲、虚栄、妬み
    自負心、邪心、けち、その他の恐ろしき性質
    これらはすべてラジャスの産物であり、人を世俗的活動に向かわせよう
    それゆえラジャスは束縛の原因となっているだろう



詩句一一二【覚書】:★《物的欲望(カーマ)》自分が持たないものを欲しがること。
★《怒り(クローダ)》望んだ物が得られない時に起こる感情。
★《貪欲(ローバ)》得た物を失うまいとする思い、またはもっと得ようとする思い。以上の三つを指してギーターでは「地獄の三重の門(BG16‐21)」と呼ぶ。
★《虚栄(ダンバ)》自分の持ちものを自慢する思い。
★《妬み(アビヤスーヤー)》他人の持ち物や繁栄を妬む思い。イエスを十字架に付けたユダヤの司祭達の動機は、妬みだったとされる。
★《自負心(アハンカーラ)》自分は優れているという思い。高慢な思いを持つと、善行の功徳はすべて帳消しになる。
★《邪心(イーリシャー)》善いことを悪く思う思い、ひねくれた心。
★《けち(マトサラ)》たくさん持っているものを手放すまいとする思い。
★《その他の恐ろしき性質》その他に色欲、傲慢などがある。キリスト教では、七つの大罪として、高慢、貪欲、妬み、怒り、飽食、色欲、怠惰を挙げている。
★《人を世俗的活動(プラヴリッティ)に向かわせよう》これらの思いを持つと、その思いを解消しようとして、行為に従事するようになる。この世的活動は、そのほとんどがラジャスによって促される。つまりこの世の人は欲望充足のために行為を行っている。献身奉仕として行為する人は稀である。
★《ラジャスは束縛の原因となっているだろう》自分は肉体と思うことで、肉体に付属するものを自分のものと思い、それを楽しませようと考え、行為に駆り立てられる。行為の結果を享受することで、自分は肉体という思いをさらに強めて、サンサーラという束縛を受けざるを得なくなる。欲望が束縛の根本原因である。 参考:「貪欲、活動、行為の企図は、安息のない渇愛によるもので、激情が増大したとき生ずる」(BG14‐12)、「なぜなら至上の幸福は、心が寂静に帰ることであり、激質の動性が静まれば、汚れのない梵に近づき得るから」(同6‐27)。